思い出と共にいやされる、 そんな一枚一枚が宝物

スピードスケート清水宏保選手の大舞台!

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ごくごく普通の主婦で、ごくごく平凡な日々を過ごして来た、と自分では思っています。 子育てが終わり、仕事を辞め、ようやく時間や気持ちにゆとりが出てきた時には、人生の半ば以上が過ぎていました。 時間に縛られずにいれることで、日々の暮らしのなかに、今まで気付かなかったこと、また今まで気付いていても時間に追われて、なかなかできなかったことなどを、気の向くままに書き綴ろうと思います。

1998清水宏保選手が
大活躍したエムウエーブ

【エムウエーブの名前の由来】この写真は正面から見たところ。 この建物を横から見ると信州の山並みをイメージした「M」エムの字に見えるのでこの名が付いています。  左手奥に白く見えるのは「菅平ダボス」

1998年冬季長野オリンピックのスピードスケートは、ここエムウエーブで行われました。

そのスケート競技で今も鮮明に脳裏に焼きついている場面があります。 それは、会場で直に見たのではなく、テレビを見て応援していたのですが。

清水宏保選手が、スピードスケート
500mで金メダル、1000mで銅メダル
を取ったときの大興奮。

応援はしていたものの、身体の大きな外国選手には勝てっこしないと、心のどこかに正直ありました。

清水選手の身長は162センチ、一緒にリンクを滑る外国の選手、特にカナダの選手は身長が高くかっこ良く、つまり足も長くて清水選手とはまるで親子のような差がありました。

どの選手もみな太ももは立派でしたが、身長が低い清水選手は、一段と太ももが立派に感じられました。鍛え上げられた太もも筋肉パワーで、まるで弾丸のような速さが生まれた

これを見て、スポーツでも他の分野でも、自分の体形云々を言い訳にはできないということを実証された気がしました。



清水宏保さんは、何でも、中・高・大学と女性にもてなかったので、もてないことをばねにスケートに打ち込んだとか・・・ もてていたら練習時間も少なくなり、何度かのオリンピック出場、そして数々のメダルは取れていたのでしょうか?

オリンピック後、清水選手はスピードスケート選手として一躍有名になり、念願の美人モデルさんと結婚できました。 が、今度は飲み屋の方との浮気がフラーデーされ、離婚に至ってしまったとの、誠に残念な結末。

「人間万事塞翁が馬」

でも、このことで深酒を止めて健康に良い方向に進めるかも知れません。やけ酒をしない限り・・・

人間、死ぬまでどう変わるかわかりませんね、自分も含めて。

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ごくごく普通の主婦で、ごくごく平凡な日々を過ごして来た、と自分では思っています。 子育てが終わり、仕事を辞め、ようやく時間や気持ちにゆとりが出てきた時には、人生の半ば以上が過ぎていました。 時間に縛られずにいれることで、日々の暮らしのなかに、今まで気付かなかったこと、また今まで気付いていても時間に追われて、なかなかできなかったことなどを、気の向くままに書き綴ろうと思います。

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自分の時間を楽しめるようになったのは、

第一段階:子育てが一段落したとき:気分転換程度。

第二段階:仕事を止めたとき:現在。

 

今まさに第二段階。

今までしてきた写真、油絵、洋裁、お菓子作り、庭いじり、ジム通い等を、好き放題に再開。

 

毎日、好きなことができる幸せ

フルで勤めていた頃よりも忙しい

なにせ自分の好きなことを、好きなだけ自由にできるのだから楽しい

 

ただ、よくないこと、時間を忘れてしまう。

その結果、生活サイクルが超乱れてしまう。

 

もう若くはないのだから、少しづつ健康的な生活サイクルにしなければ・・・

 

kosumosu

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