思い出と共にいやされる、 そんな一枚一枚が宝物

お墓参り:丘のような山に整然と広がる大規模墓地は、従来のお寺墓地からは想像もつきません!

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ごくごく普通の主婦で、ごくごく平凡な日々を過ごして来た、と自分では思っています。 子育てが終わり、仕事を辞め、ようやく時間や気持ちにゆとりが出てきた時には、人生の半ば以上が過ぎていました。 時間に縛られずにいれることで、日々の暮らしのなかに、今まで気付かなかったこと、また今まで気付いていても時間に追われて、なかなかできなかったことなどを、気の向くままに書き綴ろうと思います。

法要のため郡山へ

目指すは、郡山市の法要会場

義兄が亡くなって早一年。

一周忌・新盆の法要のため、2017年7月22日に出かける。

天気は曇り。

長野から郡山までの長旅道中を考えると、車の窓から射す真夏の太陽光線が和らいで助かる。

郡山会場での法要は3時からなので、2時30分の到着を目指す。

途中、サービスエリアでの休憩時間に約1時間のゆとりを持たせ、出発時間は朝の9時。

道路の混雑もなく順調に走り、目的地まで予定通りの約5時間半。

(北陸自動車道と磐越自動車道経由で、自宅からの距離:432Km、正味時間:4時間31分の予定=ヤフー検索)

法要会場そして お墓参り

義兄が眠る墓は、造ってから初めてで、家に例えるならば「新築」のところに入ったことになる。

この霊園は、どの宗派の人もOKで、決まったお寺さんはないようである。

そのため、実家が曹洞宗なので、曹洞宗の大本山である福井県の永平寺より、お坊さんに郡山まで出張して来て頂いた。

お坊さんは、三十代でお若く、車で来られた。

マイクロバスでお墓へ

お墓へ向かう道中、マイクロバスの窓から見渡す限り、丘陵地一帯にお墓が広がっており、まるで「お墓団地」のようであった。

ついでに余談:仙台で過ごした新婚時代

新婚時代仙台へ転勤となり、転勤先の上司の住まいである鶴ケ谷団地を伺ったら、まるで林のように何棟もそびえ建っていた公団住宅団地を思い出す。マンモスだよ!

その団地もやはり、丘陵地であった記憶がある。

東北の玄関とも言われた仙台のベッドタウンの一つであった。

私が新婚時代を過ごした、仙台市内に近い小ぶりの団地(公団住宅)では、日曜日ともなれば、そこかしこで引越しが行われていた。

私の知っている限りの住人はほとんどが転勤族であったような気がする。

我が子二人の育児中に知り合った友達は、小樽、盛岡、横手、石巻、東京、尾張、大阪・・・と日本各地から集まっていて、いろいろな経験を楽しめた。

また、知らない土地での子育てするもの同士ということもあってか、親身に情報交換しあったり、協力し合ったりで、何かにつけ心強かった。

話題は、元に戻ります

お墓の手前淵の石には、番地のような数字が彫られてはいるものの、方角をちゃんと覚えておかないと、そこまで行くに、迷子になりそうな何千もあるマンモス墓地である。

景観、安全等考慮してか、墓石は一定の決まりがあるということで、多少の違いこそあれ、見た目が整然としていて美しい。

狭い国土、日本の墓地とは思えない。

今回は、個人の日程で行う墓参りのため、行き来する道路の混雑は全くなかったが、お彼岸とか、特にお盆になると一斉に来るので、かなりの渋滞になってしまうとのこと。

そのようなことを考慮して、8月13日の迎え盆は、一日早く12日にしようかとお姉さん。

うん!それはグッドアイディア!!

兄弟会の思い出

当初は、実家でそれぞれの家族が寝泊りしていたが、子や孫の数が増えてくると一日三度の食事だけでも大変になる。

そこで、両親の元気な晩年から少なくとも一泊は温泉で、ということになった。

両親が亡くなってからは、実家のお墓参りを兼ねたお盆恒例の行事で、温泉地で二泊三日の兄弟会となる。

温泉に行く前に先ずすることは、みんなでお墓のお掃除

今年も、せみが元気よく鳴く暑い夏になると、両親や元気だったころの主人はじめ、兄弟家族と過ごした日々が懐かしく思い出される。

集まる人数が多かった頃は、民宿二階のフロア4室を借りたり、何年も繰り返し行くうちに、さながら実家のように懐かしい場所になっていた。

お料理は、大勢宿泊するホテルとは違い、自給自足の新鮮野菜などを使った手作りの家庭的料理がメインで、とても美味しくて楽しみであった。

昼間出掛けて民宿に戻ると、畑で採れたスイカやとうもろこしなどの差し入れをしてくださり、とても温かいおもてなしがうれしかった。

お墓の敷地内になんとか全員(カメラマン以外)納まりましたが、ご先祖様が隠れてしまい、ごめんなさい。   手前に並ぶ風化しかけた石は、大昔のお墓だそうです。

四人兄弟は、お酒を愛し、マージャンをしながらスポーツはじめ時世の話題、幼い頃の思い出話に花を咲かせていた。

義兄は、私の主人が逝ってから半年後に弟を追うかのように逝ってしまった。

ちなみに、兄弟会で泊まった民宿の女将さんも2年ほど前に60代半ばの若さで亡くなられた。

いつかはやってくる別れではあるが、早すぎる別れは悔しく残念でたまらない!

「時の流れ」は残酷でもある。

まさに「時間よ、止まれ!」ではなく、「時間よ、戻れ!」と叫びたくなる。

孫の成長は楽しみなのに、これと相反する気持ちが大きく渦巻く。

30年以上続いた兄弟会もこれからは難しくなりつつあり、これからは、墓参りに変わりつつあるのか。

なんとも寂しいことだが、これが現状である。

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ごくごく普通の主婦で、ごくごく平凡な日々を過ごして来た、と自分では思っています。 子育てが終わり、仕事を辞め、ようやく時間や気持ちにゆとりが出てきた時には、人生の半ば以上が過ぎていました。 時間に縛られずにいれることで、日々の暮らしのなかに、今まで気付かなかったこと、また今まで気付いていても時間に追われて、なかなかできなかったことなどを、気の向くままに書き綴ろうと思います。

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自分の時間を楽しめるようになったのは、

第一段階:子育てが一段落したとき:気分転換程度。

第二段階:仕事を止めたとき:現在。

 

今まさに第二段階。

今までしてきた写真、油絵、洋裁、お菓子作り、庭いじり、ジム通い等を、好き放題に再開。

 

毎日、好きなことができる幸せ

フルで勤めていた頃よりも忙しい

なにせ自分の好きなことを、好きなだけ自由にできるのだから楽しい

 

ただ、よくないこと、時間を忘れてしまう。

その結果、生活サイクルが超乱れてしまう。

 

もう若くはないのだから、少しづつ健康的な生活サイクルにしなければ・・・

 

kosumosu

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