10年の歳月をかけて空襲からの復元!名古屋城本丸御殿
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ごくごく普通の主婦で、ごくごく平凡な日々を過ごして来た、と自分では思っています。
子育てが終わり、仕事を辞め、ようやく時間や気持ちにゆとりが出てきた時には、人生の半ば以上が過ぎていました。
時間に縛られずにいれることで、日々の暮らしのなかに、今まで気付かなかったこと、また今まで気付いていても時間に追われて、なかなかできなかったことなどを、気の向くままに書き綴ろうと思います。
名古屋城 THE NAGOYA CASTLE
徳川家康が関が原の戦いに勝利した後、豊臣方への備えとして築城=天下普請。
1610年家康は、西国大名20家(加藤清正・福島正則等)に土木工事を、小堀遠州・中井正清等に建築工事を命じ、1612年に完成。
尾張初代藩主は、徳川義直(家康の九男)
天守閣
1945年(昭和20年)名古屋空襲で焼失し、1959年(昭和34年)に再建されたもの。
天守閣
再建は、鉄骨鉄筋コンクリート造りでしたが、設備の老朽化や耐震性が低いことから、現在木造復元が進められており、外からの天守閣を眺めるだけとなりました。
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西南隅櫓
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名古屋城 金の鯱
金の鯱
鯱は、空想上の生き物で「水を呼ぶ」と言われることから「火除けのまじない」とされる。
また、家康家の権力・財力を誇るもの。
名古屋城本丸
名古屋城本丸御殿入口
平屋建てで(部屋数約30)、初代尾張藩主の住居・政庁に使われる。
1945年(昭和20年)名古屋空襲で焼失したが、2009年(平成21年)から復元工事を開始し、2018年(平成30年)完成し公開となる。
中に入るには靴を脱いで、必要な方はスリッパが用意されています。
玄関
表書院の座敷飾
謁見(対面儀礼)に用いられた本丸御殿内で、一番広大な建物。 5部屋からなり広間と呼ばれていた。
その他の部屋
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シンプルさが豪華な絵の中で目を引く。
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欄間が豪華!
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天井が一部曲線をおびている
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飾金具
名古屋城内で目についたもの
清正石:名古屋城石垣の中で最大の石材.
重要な門には巨石を用い、権力や防備を誇示していた.
さいごに
天守閣に上って名古屋市内を一望したいところでしたが、残念ながら、ただ今木造に復元中ということでした。
日本のお城は鉄骨鉄筋コンクリートではなく、やはり木でなくては・・・
全国的にお城ブーム。
西洋のお城とは全く違うスタイルに、外国からの観光客も益々増えることでしょう。
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ごくごく普通の主婦で、ごくごく平凡な日々を過ごして来た、と自分では思っています。
子育てが終わり、仕事を辞め、ようやく時間や気持ちにゆとりが出てきた時には、人生の半ば以上が過ぎていました。
時間に縛られずにいれることで、日々の暮らしのなかに、今まで気付かなかったこと、また今まで気付いていても時間に追われて、なかなかできなかったことなどを、気の向くままに書き綴ろうと思います。
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自分の時間を楽しめるようになったのは、
第一段階:子育てが一段落したとき:気分転換程度。
第二段階:仕事を止めたとき:現在。
今まさに第二段階。
今までしてきた写真、油絵、洋裁、お菓子作り、庭いじり、ジム通い等を、好き放題に再開。
毎日、好きなことができる幸せ!
フルで勤めていた頃よりも忙しい!
なにせ自分の好きなことを、好きなだけ自由にできるのだから楽しい!
ただ、よくないこと、時間を忘れてしまう。
その結果、生活サイクルが超乱れてしまう。
もう若くはないのだから、少しづつ健康的な生活サイクルにしなければ・・・
kosumosu